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僕のご先祖様

 
 「ほんとうに生きる、という冒険」
て 書いてあった よ。
 
 


奈良原一高 王国

東京国立近代美術館にて
2014年11月18日(火)〜2015年3月1日(日)
奈良原一高
《「王国」より沈黙の園》1958年



なんだろう

一瞬を 止めて 
そこに 永遠に 置いといてくれる

その 行為に
力強さと 同時の真摯さ 
そして 敬意 と 感謝さえ 感じる

それが 私にとって 
写真 ていう作品を見た時の 
基準 ? なんだなぁ 
って
思った

 

写真て写らない

鬼海弘雄 

「出来る」。 
   「分かる」。
     とか よりも

「出来ない」。
    「分からない」。
       っていうものの方が
   
何ていうか
ものすごく エネルギーを持ってて

人間ていう存在を支えている気がする んですよ ね

て 鬼海弘雄さんの 口から
絞り出されるように?
ぎゅっとつまった 塊のような言葉が
発せられて
私の 真ん中に ストン と 落ちた。

真摯に生きる って こういうことかな って
今まで 意味も分かってなかったくせに
ふと 思った。


どこか知らない街に行っても
まずは 飽きてつまらなくなるまで 写真は撮らないって
言ってた のを 聞いて
やっと 写真って そういうことだったんだ
って 納得した 気がする。




忘却の海

 ヨコトリ
「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホールとしての記憶のことである
人類はこれまで想像を絶する量の情報(や「もの」)を廃棄(=忘却)し続けてきた。記憶化されないまま廃棄された情報(や「もの」)は、それよりもさらに膨大だろう。死者や、これから生まれる「未来の記憶」とでもいうべき未生の命も、記憶されざる記憶としての「忘却」かもしれない。検閲や弾圧によって消滅させられたり、表舞台に出られなくなったものもあるだろう。 
語らないもの、語ってはならないもの、語りえぬもの。見たくないもの、見てはならないもの、見えにくいもの。とるにたらないもの、役に立たぬもの。それら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達にも思いを馳せてみよう。そしてこんなふうに痛感してみよう。
世界(宇宙)は、そのほとんどが「忘却」のブラックホール(あるいは、広大で奥深い海)によって満たされている。それに比べれば、記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島にすぎない。

「記憶」から「忘却」へと、世界認識のための軸足を、真逆に置き換えてみる。すると、社会や暮らしや人生の諸相が今までとはガラリと違って見えてくる。その手応えや驚きや切実感が表現となる。そういう芸術的態度が確かにある。それらを多くの人々とわかちあうこと。ヨコハマトリエンナーレ2014における「忘却」というテーマは、そういったものである。忘れられた歴史(美術史)の掘り起こしや懐古趣味には無関係でありたいと願っている。

横浜トリエンナーレ



実は今まで ナントカトリエンナーレ みたいのには 
全く興味がなかったんだけど、、、
この ヨコハマトリエンナーレ 2014 は
すごく 惹かれるものがあって 
何だか また 新しい 体験 をした。

そして、いつも 今まで興味がなかったのは
今ここで生きてる自分 と そこに実現されている世界 との
何かしらの違和感があったから なのだ と
今回の ヨコトリ の中にいて
ものすごく 全身で 受け止め 浸透して来る
ある意味の 心地良さを 感じて
分かった。


人間宇宙

民芸館







カンタ
©日本民芸館


人間業ではない、、、、
って 言葉があるけど
この一枚の布を目の前に
もう そんな言葉すら 無意味になって
宇宙 って 言葉が頭の中に浮かんでた。


それにしても  ベンガル地方の人達 すご過ぎるな、、、、 と 
虫めがねを借りて 食い入るように 吸い込まれるように
見ていたら
次に 出て来たのは 東北地方の人の賜物。

本当に、人間って 何なのだろう。
って 深いため息をずーーーっと付き続けて
息も止まってしまう程、
美しい ものが そこにあった。
いつまでも 永遠にその前で 見ていたかった。



刺し子
©日本民芸館
 

じゆう

松山のオススメの場所は?
と聞かれたら
是非 伊丹十三記念館へ! と言う。

だが 父である伊丹万作のことは
全く知らなかった。

原発事故の後
色んな人が 伊丹万作の言葉を
紹介していた。

「戦争責任者の問題」
伊丹万作


初めてこの人の文章を読み
驚いた
というか
その頃の自分にとって
ありがたかった。

記念館でちょうど今
伊丹万作の企画展が行われていたので
帰省中に 行って来た。

あれから
もうすぐ2年。

色んなことが変わった様にも
何も変わっていない様にも見える


よく分からない民意?の
方向を知った


もう一度読んだ 
伊丹万作の言葉は
さらに 胸に響いて来る。



戦時中と今と
何も変わっていないのではないか 
と 思った。

たんぽぽ


the Art of gaman という、、、

尊厳の藝術展―The Art of Gaman―

東京藝術大学大学美術館
収容所の風景

色んなことを考えました。

私たち 日本人のこと
そもそも 国 って何なのか
言葉って何なのか
分からなく なりながら


人を恨むとか 憎むとか
それを超えた ところにある
計り知れない
痛みと
人間の強さ 

というものを
もしかすると 私は今まで
知らずに生きて来たのかも
とさえ 思えました。

非道な扱いをされた
悲惨な生活の中から
残されたものが
憎しみや悲しみではなくて
こんなにも 素晴らしい
人々の手から生まれた作品だったことの意味を
今 充分に考えていたいと
そして これを 知ることが出来て
本当に良かったと 
思っています。




目の前の現実

齋藤茂吉と『楡家の人びと』展
世田谷文学館


歌を詠む 
ってことが
出来るんだ 
ってことを
忘れてた
って
は っとした


あ、あと
マブゼ共和国 
旅券 
っていう
北 杜夫のミニ独立国への
パスポートをもらったよ。




狸


考現学

今 和二郎今和次郎 採集講義 展 | 汐留ミュージアム


こういうことー!

そう、
いつだって人々の生活の細部に
興味があるんだ!
って
見ていてすごくワクワクした。

って 何だか 軽い感想だけど、、、。

 
関東大震災直後、荒れ果てた東京の町で立ち上げた
「バラック装飾社」 
の活動がとても興味深い。
ネーミングも 何だか いいな。




自由です

7つの海と手しごと〈第2の海〉    

「北極海とイヌイットの壁かけ」

生活工房にて


イヌイット



上映会&ミニワークショップ「イヌイットの暮らしと遊び」
 イヌイットの暮らしを描いた映像を見たあとは、イヌイット・ヨーヨーを作りましょう。
12月4日(日) 10:30-12:30
講師:笹倉いる美(
北海道立北方民族博物館
学芸主幹)


ワークショップに参加した。

「革の色の組み合わせ、裏表どちらを使うかは 自由です。
 縫い合わせ方も自由です。」

 簡単な作業だとばかり思っていたら、
 この  「自由」って言葉が発せられた途端に
 頭のスイッチが入ってしまって ものすごく 悩んでしまった。
 でも その時間って  すごく楽しいひととき なんだ。 
そして、講師の笹倉さんが
 そもそも このイヌイットの壁掛けがどうして生まれたのかっていうと、、、 
という話をしてくれた。 

工場で洋服などを作らせようと
女性達を集めて指導したのだけど、
上手くいかなかなった。
そんな中で、誰かが独自に
自分の好きなものを作り始めて
それが発展して、広まっていったのが
この壁掛けなのだ  って。

それを聞いて 一層好きになった。

 でも このヨーヨは 一度もうまく出来たことない 私。  
自由ってことばに踊らされ 二つとも違う綴じ方にしたのが 
ダメだったかも、、、と 少し 気にしてる。。。

ヨーヨー
練習してるんだけどな。。。


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