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知らずにいたこと

クラスター爆弾
自分がまだ幼かった頃、
みんなが逃げ追われていた光景を
覚えている って ガイドをしてくれた
ウォンが言った。

自分とそう年の変わらなさそうな 目の前の人の
言葉に 一瞬 訳が分からなくなった。

この事実を全く知らなさ過ぎた私たちが
次々に 質問をしていたら、

「誰も思い出したくないんだ、、、、」
とウォンがつぶやいた。何て言うか、、、
こんなに 重たい言葉は なかった。

「その頃に比べたら
 今は あまりに平和だよ」
とも 言った。


私は何も知らな過ぎた。

50万回以上のアメリカ軍による爆撃が続き、
200万トンを超える爆弾がラオスのある地域に集中して落とされた。
それは、8分ごとに1度、米軍機1台に積載される爆弾が落とされ
1k屬△燭衞20トン、ラオス人1人あたり1トン以上の爆撃がされて来たことになるという。
もう耳を疑いたくなる、到底自分の想像の範囲では
処理しきれない情報だった。
もちろん私の勉強不足なのだけど、
日本にいるどれくらいの人がこの事実を知っているのだろう。
世界のどの人達がこの歴史を知っているのだろう。
歴史の教育ってなんだろう。

山の外れの小さな村、
そこはボムビレッジと呼ばれている
集落に連れて行ってもらった。なんとそこでは 落とされたクラスター爆弾を
家の垣根にしたり、柱にして使っていた。
プランター替りに野菜を栽培しているものもあった。

なんなのだろう。
この国の人達は。。。

「Art of Gaman」という
戦時下に強制収容所のに入れられた
日系アメリカ人の作品の展示を見た時
このラオスの人達を思い出した。
背景は違うけれど
現代の日本で生きる私達が
もしかして 
図り知ることの出来なかった領域を
教えてもらった気がする

うまく言葉にはできないけれど

恨む でも憎むでも
批判するでもない

ただひたすらに 生きる

そのことの
強さと美しさがそこにはあった
ボムビレッジ
クラスター爆弾を柱に使った鳥小屋


時がとまる島

もしかして あれは 幻だったのかな。。。 
と 思ったり するので
私にとって すごく 特別な ラオスの一日を 
ここに 記しておきます。

ラオスへは到着した日の宿しか決めてない
行き当たりばったりというか
自由きまま、、、ものすごく自然な流れの旅をしていた。
南部へ移動したので、どこか島に行きたかったけれど、
メインの島へ行くにはあまり日数が残ってない、、、
そこで、見つけたのが、世界遺産のチャンパーサックから
数分で行ける小さな島、デーン島。
ガイドブックlonely planet には、
その島に行って
「homestay!」とさえ言えば 
泊まれる と書いてあった。
よしっ!ここに行ってみよう!
と私たちはドキドキワクワクしながら
デーン島の対岸の町へ。


そこで「デーン島 に行きたい」
と言うと 
そこにいる人達がみんな あっちあっち って教えてくれて
一人のおじさんがついて来た。
そして そのおじさんが 向かった先は、、、。

船着き場
↑ へ!?
どこに 船があるの?!

って思ってたら
私が船着場だと思った 木の塊が動き出した。
ボート
まさかまさかー
えーーー!!!
これーーー!???
うそーー!!!

という 状態。

だって 回りを見渡しても
まず、 人っ子一人いないメコン川。
水平線を 私とマッキン(→)を乗せた
小さな木の船?が進みます。
メコン
ほんとうに えーーー!
どういうことーー!!
と騒いでいるのに、
こわそうだったおじさんは
ずっと ニコニコしながら うなずいてるだけ。

何ていうか 本当に
まるで お笑いの世界にいる様でした。
なのに、誰も観客もいない。。。

なんとなく 人が住んでそうな島を目掛けていたので、
そこが デーン島だと思っていたら、
クイっと 方向を変えて 向かった先は
まるで無人島のような
砂浜しかない 永遠に砂浜しかない 島?

おじさんに 船を停められ
え?! ここ?! まじ!?

チンプンカンプンな 状態で 船を降りる 二人。

始終一言も発せずに
また ポッポーと 戻っていくおじさん。

メコン
やばい、、、
「ホームステーイ!!」
ってどんなに 大声を張上げても 
シーン。。。。

カニ
第一村人、 蟹さん。

何これー!
と もうずっと 大声を出しまくり、、、
だけど 誰もいない。

竹の道

砂浜に 竹で編んだ道が続いていたので、
これを辿っておいで 
ってことなんだろうと、、、
進みました。



広い 砂浜を抜けると、、、

welcome
なんと welcome されてた。



そして、

みんなで集まってのんびりしてる

島の人達発見。

 ついに 
「ホームステイ!」 と言うチャンスが来て、、、

いざとなったら
ビクビクしながら 言う 二人。。。

おじさん、おばちゃん、ばあちゃん、しばし、みんなで 相談して
じゃあ ここね 
って そこの上を指さされて

一瞬のうちに 私達の 宿が決定ー。

(続く)


一人その時のことを思い出し、
興奮して長々と書いてしまいました。


時間どろぼう

夜明け


morning

パークセー

朝日

あたらしい日が来て
また あたらしい時間を手に入れる
ラオスの人々

いつの間にか
あたらしい日がやって来なくなっていて
その変わり
自分のもっている時間を
どんどん奪われていく
日本の大人

目には見えないことだけど
まるで真逆の時空の流れを
身体中で感じました



開始

暁

托鉢


朝
夜行バスの中から見た
朝 5時半から6時過ぎころの パークセー 近郊の朝


昨日のつづき

モンク

つながれてる犬をほとんど見なかった。
車やバイクがびゅんびゅん通る道も
上手に渡ったり、
自由気ままに道ですれ違う犬達は、
まるで 近所のおじさんやおばさんのようだった。

自分が持っている犬のイメージとは
明らかに違っていて
有る意味 カルチャーショックだった。

自立 してる。。。
って 思った。

みんなが 平等

って 
日本に生きてると
ものすごく 基本のところが
見えなくなってしまう気がする。

うこっけい

みんなが 平等
それは
ひとつの生物として
自分以外の生き物を
所有しない ということ ではないかな
って
ラオスに行って
思い当たった。

言葉で表すのは難しいけど
例え誰かのもの であっても
それは誰のものにもなり得ないということを
皆知っている というのか、、、
誰のものでもない 
ひとつのいのち。

そしてそれは小さな子どもを見ていても
同じ印象を受けた。
親と子供の関係。

誰にも 何にも
依存し合うことなく
暮らす。

そして
どこかで 
えばったり
卑下したりもすることなく
暮らす。

それは 
この地に生きてる
ていう 強さ。
この地で生きてくっていう
強さ。
であり
本当は
この世に生を受けた生物はみんな持ってる
生命力なんでは ないかな って。


このことは
色んなことにつながって行って
ずーっと 私の中で
考えが広がってる。。。




ネコロガル




 

サバィディ〜

犬

ラオスで過ごして数日経って
気付いたことがある。

この 心地良さというか
リラックス感は何だろう?ってふと考えた時に、
あ、みんな平等なんだなって。

ラオス人も
ヨーロッパ人も
日本人も
大人もこどもも赤ちゃんも
おじいちゃんもおばあちゃんも
ニワトリもガチョウもアヒルも
犬も猫も
牛も
ブタも
バッファローも
ハエもトカゲも蟻も、、、、

みーんなが 同じ土壌で
平等に 暮らしていた。

そこにある 土地は
みーんなのもの であって
上も下も
右も左も
優も劣もない 

みーんなが
それぞれに
生きていた

それが ラオスってどうだった?
って聞かれたら
一番 最初に私が言うこと 
かな。。。


友達



ここではないどこか

じつは
ラオスに行って来ました。
えへへ。

と 思わず言ってしまいそうになるほど
“えへへ”なノリのラオスだったけど

心と身体と それを越えた何かまでが
すっぽりと包まれて
常に心地良いのだけれど
どこか 呼び覚まされるような
そんな 時の中にいた感じ。 

今の自分にとって
ものすごく 意味のある
ラオス って国でした。

12日間で撮った膨大な写真を前に
これは とうてい 言葉では表しきれない、、、、と
茫然と過ごす数日。。。
こんな私が撮った写真にさえ
おさまりきれない 
この世のうつくしさを受けて

今回ばかりは
ちゃんと 記しておきたいなぁ と
思っている

 


富士山
もうすぐ 降り立つ 日本の 空。
出迎えてくれた富士山。




 


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